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琳派・若冲

鈴木其一

鈴木其一

琳派とは

桃山時代後期に興り近代まで活躍した同傾向の表現手法を用いる造形芸術上の流派および美術家・工芸家らやその作品を指す名称。
本阿弥光悦と俵屋宗達が創始し、尾形光琳・乾山兄弟によって醸成させ、酒井抱一、鈴木其一、中村芳中、神坂雪佳らが今に継承しました。斬新で大胆なデザイン性と細やかで柔らかな技法が魅力の作風で、日本の美のひとつの頂点を極めました。今日では、日本美術画の中でも特別人気の流派です。

琳派400年

今年は、琳派発祥から400年目。
琳派の始まりは、光悦が芸術家を集めた「光悦村」をひらいた1615年とされる。今年はそこから400年。琳派の始祖は、書家としても知られる本阿弥光悦と「風神雷神図屏風」(建仁寺蔵、国宝)で知られる俵屋宗達。きらびやかな⻩⾦の上を風神雷神が⾃由に舞う「風神雷神図」は、「豪華絢爛」という枕詞で紹介されることが多い琳派の代表作となっている。琳派の名称は、尾形光琳に由来。
京都市⽴芸⼤の榊原吉郎名誉教授は、「琳派400年記念祭」のパンフレットで、フランスの高級ブランドの名前をあげ、「最高の美の一つは琳派であると彼らも知っている」と記している。

時空を越えて継承する絵師達

この琳派には身分や場所及び時間を越えて継承されてきたという大きな特徴があります。
江戸時代の代表的な狩野派などは家系によって大きな組織を作り、師弟の直接指導のもとに技法を継承する幕府御用達の派閥ですが、琳派は異なる時代の個々の絵師達が先人の絵を尊敬の念を持って模写したこと(私淑)によって断続的に継承されてきました。
また、もう一つの特徴は絵画にとどまらず「書」「工芸」など統合的な芸術作風を表していることです。

俵屋宗達

俵屋宗達

その中の一人で光悦の書簡の下絵師として多くの合作を残した俵屋宗達は特別な存在で、彼が建仁寺に残した「風神雷神図」は、時代を越えて模写され続けた琳派の代表的な作品です。
琳派の一字にもなっていて、その作風を完成させたとされている尾形光琳も「風神雷神図」を模写しました。また光琳は弟の乾山が創る焼きものに絵を施すことで、いにしえの光悦、宗達の関係も再現させて見せたのです。
その光琳の百回忌を執り行い、死の間際まで光琳を研究し続けた江戸の絵師に酒井抱一がいます。姫路藩主酒井家に生まれた抱一はそれまで京都に根ざしていた琳派を江戸の地に広めました。光琳は生前の一時期、酒井家に仕えていたことがあり、その作品が多く残っていたことも幸いしたのでしょう。もちろんこの酒井抱一も「風神雷神図」を模写しています。
この3人は1570年頃生まれて1640年頃没した宗達、1658年生まれ1716年没の光琳、1761年生まれ1829年没の抱一と生きた時代が重なっていません。

琳派を定義した酒井抱一

また、彼は私淑する尾形光琳を詳細に研究し、俵屋宗達から始まる流派を緒方流(琳派)と捉えるという、後世の我々が定義づける琳派に決定的な指針を与えました。
また、多くの尾形光琳の研究書物を著し、それが欧州に渡り、その時代の「アール・ヌーボー」「アール・デコ」に少なからず影響を与えたのも彼の功績の一つです。

酒井抱一

酒井抱一

今に受け継がれる琳派

この代表的な3人に加えて大阪の中村芳中や、江戸の酒井抱一の弟子の鈴木其一、池田孤邨などを経て脈々と受け継がれ、明治から昭和にかけては、近代アートデザイナーとして活躍した神坂雪佳に琳派が継承されていきました。

尾形光琳の作品で日本絵画の代表作の一つにもなっている「燕子花図」をモチーフにした神坂雪佳の燕子花図は、2001年に発行されたフランスHERMES(エルメス)社の雑誌「ル・モンド・エルメス」( N38 VOL  2001)の表紙と巻頭に紹介されています

神坂雪佳

神坂雪佳

人気絶頂!「伊藤若冲」
世界が認めた日本絵画の奇才

2016年に生誕300年の節目を迎える伊藤若冲は「奇想の画家」とも呼ばれそれまでの日本の絵画にない奇抜なモチーフ、独特な画面構成で独創的な世界を作り上げました。身近な花や鳥をテーマにすることが多かった若冲の驚異の画才は、細密な花鳥画や墨を駆使した飄逸な水墨表現に見て取れることでしょう。海外に於いてもアメリカ人収集家ジョー・プライスのコレクションが有名で、世界的にもその知名度と人気が高い江戸美術を代表する画家の一人です。

伊藤若冲

伊藤若冲

伊藤若冲(1716〜1800)は、京都錦⼩路の⻘物問屋の⻑男に⽣まれ、数え年二十三歳の時、家督を相続し四代目桝屋源左衛門となります。絵画制作に没頭、四十歳を機に家督を弟に譲り、画家として後半⽣を送ります。その個性的な画風は江⼾中期の京都で異彩を放ち、⼤きな評判を呼びました。晩年は深草の⻩檗寺院、石峰寺の門前に隠棲し、制作三昧の⽇々を過ごしました。
代表作に「動植綵絵」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)⿅苑寺⼤書院障壁画、⼤阪・⻄福寺襖絵などがあります。また「枡目描き」を試みた諸作品も話題を呼んでいます。⽣前の若冲は、『平安人物志』の上位に掲載されるほどの人気と知名度を持っていました。